母の実家
遠くに離れた親戚と長く付き合うのは難しいことかもしれません。
要となる主がいなくなった後、そのいとこ同士が、そしてその下の代が繋がっていくというのは難しいことですね。
母は昭和31年に当時は本当に遠かった北海道の片田舎に一人で嫁いできました。
嫁いだ先は田舎の商家。
夫となった父の他、父の母、祖母、叔母、妹、弟。
さらに住み込みが何人もいるという大家族でした。
母の姉妹は7人いますが(兄も二人の9人兄弟)、二人はハワイ(うち一人は最初はスウェーデン、アメリカ本土、最終的にハワイ)母が北海道、その他は地元か近いところに嫁いで行きました。
そんな母の実家に、私は何度となく連れていってもらいましたし、祖母の話を中心にいろんな話を聞いて育ちました。
なので、遠くても気持ちは近くそだったように思います。
大人になってからも、母抜きで何度か訪ねて行ったからかもしれません。
今では、実家の寺を継ぐ従兄弟の賢良さんのもとに嫁いできたキヨコさんとすっかり仲良くなり、旬のものを送り合う仲。
賢良さんも私も料理好きっていうのが同じ(笑)
それはキッチンを見てもわかりましたね〜。
壊される保育園
お寺は信長の時代から続く歴史があります。
信長が目の敵にした門徒の寺を守る武士で、源氏の末裔。
そんな古いお寺ですが、母の母=私の祖母はとてもやり手だったそうで、地元では当時は有名だったそうですよ。
母が生まれる前はハワイの日系移民のための西本願寺のお寺に派遣されたり、保育園園を建てたり、いくつも役をやって、もちろん子育てもして。
母の幼い記憶の祖母は、薄暗い灯の中で、皆の靴下の繕い物をしている姿だそうです。
ちなみに、、その時に使った、いわゆるダーニングの靴下用木型を母が持っていて、私に譲ってくれました。(この話はまた後で)
お寺では母の時代にはすでに保育園もやっていて古い建物が残っています。
しかし道路拡張もあり保育園舎が壊されるということで、見に行ってきたのでした。
今は新しい園舎が建ち、こちらはボーイスカウトの事務所として使われていたそうですよ。
古いガラスが入った窓の戸。
歴史が刻まれた下駄箱。
見る人が見たら、、、ゴミですが、私には宝に感じる。
捨てるに忍びない、、、、。
祖母のアルバム
いとこが祖母のアルバムを見せてくれました。
祖母が北海道に来た時の家族写真。
右下が私ですが、、、きかなそうな顔している(笑)
家族で川に遊びに行った時の写真があった。
祖母が北海道に来た時、この時を覚えています。
右が私。
ふんべつがつくようになってきた頃(笑)
今回、私と長女が養泉寺を訪ねたことを母は喜んでいました。
今日の午前中、父のところに行ったので、「養泉寺に行ってきた」と言ったら、父も喜んでいました。