行ったのは陸前高田市と大船渡市でした。
日本は山の国だなぁと、道外へ出るといつも思う。
開けているところはほとんどが町か農地で、それ以外のただの原野とか森林は在りえない感じで。。。
仮設住宅を建てる場所に苦労するというのも納得。
行く途中もまだ山が両側に迫っている谷沿いまで津波が来た(海岸線から20キロ)ということは報道では知っていたけど、あらためて驚くことばかり。
陸前高田は山が開けて広々とした平野部に広がります。震災から半年たったいまはかなりがれきも片づけられ、建物の基礎や、建物の一部が残されるのみとなっていました。
ここにたくさんの建物があったんですね。。。まるで造成中の宅地か買い手が決まっていない工業団地みたいな感じ。。。
地盤が沈下し、高潮の水が引かない。背景は瓦礫と車の山。
市内のところどころに、こういう山が・・・。
奇跡の一本松。近くまでは行けなかった。
消防署。ここなんですね。壊さずにまだ残っていました。
ここの植枡花壇に球根とビオラパンジーを植えるということです。
表土はすっかり流されて、下の地盤がみえています。まずは土入れからしなければなりません。
ここに続くところが吉田正子さんの庭です。
ご自宅はすっかり流されましたが、その上の畑を借りてヒマワリを植えました。
ここからは陸前高田が一目で見渡せます。
偶然にも、この吉田正子さんの庭予定地に全国から集まった東京の瓦礫撤去ツアーが来ていて、皆さんで細かい瓦礫と雑草を抜いていました。
吉田正子さんの手紙が置いてあり、参加者のみなさん、力をいただいて仕事していますとのことでした。
ココを個人でまたは数人で整えるのは大変です。
この様にボランティアさんの人力があるのとないのでは、あとの作業量が違ってきますから。。。
この後、仮設住宅へ向かいました。
ここは集落がまとまって仮設住宅に入っているところで、最初にトマト苗が欲しいと言ってきたところです。
なので、全体に生活感が感じられ、コミュニティ感もたっぷりあるなと思いました。
送る苗の都合でブラックチェリーが多かったせいか、何処でも見かけました(汗)。
大船渡では前日にお会いしていたマスターさんが待っていてくれました。
マスターの吉田さん(陸前高田の吉田さんとは違います)は被災されています。
娘さんの新築の家もご自身の家も流されたそうです。「でも命は助かった・・」と。
花が好きな吉田さんは仮設住宅の裏の雑草地を開墾し、さっそく花畑を作っていました。
植えれる場所は法面も花壇に。。。
行ったこの日は北海道も暑かったけど、ここ東北も暑くて、仮設住宅はやはり暑苦しく感じました。
でも、緑が少しあるかないかで、かなり違うもんだと思いました。
でも、緑はその手入れが伴うので、やりたい人とそうでない人の差がはっきりしてしまいます。
とうぜん、土いじりに興味のない人も大勢いるわけで。
でも、少しでも興味があれば、野菜は特にコミュニケーションの手段としては最適な様子でした。
いま、仮設住宅にコミュニテガーデンの話も出ているようですが、ニューヨークのように野菜コミュニティガーデンは楽しそうだと思いました。
個々の玄関前はもちろん、だれでも参加できるみんなの畑もいいのではと。
収穫の楽しみがありますからね。
こうして、短い時間でしたが、二つの町を訪問することができました。
少しでも皆さんのコミュニティに役立った皆さんのトマトを見届けることができて、よかったです。
日本中が「自分にできること」をさがした半年だったと思います。
いろいろな方の話を聞いて、やっちゃいけないのは「自分よがりの行動」だと思いました。
何が必要なのかを上から目線ではなく、現場で感じることが大切ですね。
5月初めに送りたかった苗ですが、その時はまだ時期ではなかったということ。
土と苗と資材とセットで送ったというのも、大変喜ばれたようです。
苗だけもらってもこまりますから。。
それにしても。。なぜか、大船渡にある仮設住宅には今頃ゴーヤを植える用意がされていました。これから、育つのかな。。。と、心配していたところですが。。。
このゴーヤに関してもいろいろなことあるようで。
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長くなりました。仮設の訪問報告は終わります。
皆さんのトマト、元気に食べられていましたよ~。
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そういうえば、陸前高田と言えば。。。30年以上前、まだ独身時代、夫とムサビの先輩と真夏の東京から東北を北海道めざして車で来たことがあり、その時の1泊目が陸前高田でした。安宿に泊まったのでそれなりでしたが、珍道中だったことを思い出し。。(若い時はお金を持っていないほうが楽しい思い出ができる・・)
なお、復興支援交流会の様子はこちらでどうぞ。